名古屋LGBT活性化委員会

LGBTが生きやすい名古屋をめざします

12月8日開催予定の「豆腐感謝祭」につきまして

こんばんは。

名古屋LGBT活性化委員会代表の豆腐(きまた宗則)です。

 

先般告知いたしました、豆腐感謝祭につきまして、会場の予約の都合上、今月いっぱいで参加申し込みを締め切らせていただきます。

 

締め切り後につきましては、お問い合わせください。

 

以下、告知済みのご案内です。

 

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今回は、12月のワークショップ「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」の開催後に開催を予定している「豆腐感謝祭」のご案内です。

今年を振り返り、来年の抱負を発表するだけのただの飲み会です。

「豆腐さん」に関わりたいと思っている方ならどなたでも参加可能です。

 

日時:12月8日(日)18:00~20:00

参加費:3,500円

場所:生つくねのお店 近江屋 熟成鶏十八番 錦橋店
    名古屋市中村区名駅5丁目25-3
    地下鉄桜通線 国際センター駅より徒歩約5分、地下鉄東山線鶴舞線 伏見駅より徒歩約8分

 

興味のある方はぜひお問い合わせください。

ワークショップ「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」と併せて参加を希望される方は、お申し込みの際に両方参加される旨をお知らせください。

 

お問い合わせ・お申し込み先

 マイノリティのパイオニア 豆腐(きまた宗則)
   Tel : 090(9262)8782
   Mail : info@torff-sessionroom.com

    

ホームページ「マイノリティのパイオニア 豆腐のオフィシャルサイト」のお申し込みフォーム、活動ブログ「豆腐の Activity Life」Facebookmixiメッセージ、twitter などからお申し込み可能です。

お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。

 

みなさまのご参加をお待ちしています。

 

 

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健全な諦め

こんばんは。
名古屋LGBT活性化委員会代表の豆腐(きまた宗則)です。

 

5年半ほど前に「諦める」ということについて記事を書いたことがあります。

それからずいぶん経ってボクの思うところも少しずつ変わってきたように思います。

だんだん還暦も近づいてきて、「諦める」ことが増えてきたのと、「悟り」に近いところに少しだけ近づけたせいもあると思います。

 

そのときにも書きましたが、本来「諦める」という言葉は、「仕方がない」と断念するということとは違ったようです。

語源として「諦」という字は「真実」を意味していて、「諦める」とは「明らかにする」というのが本来の意味だそうです。

 

「諦めきれない」ことについて「齷齪しない」「じたばたしない」と捉えたり「絶望する」といった意味に繋がってしまうとそこにはかなりの「痛み」も伴うし、「悲しみ」「切なさ」「空しさ」といった感情にやられてしまいそうになります。

 

今回お話ししたいのは「悟りましょう」とことではなくて、もっと現実的にものごとや出来事を捉えて楽になっていきましょう、というお話です。

 

ボクの場合でいうと、例えば、もう今では可能になりつつありますが、ボクの適齢期では同性婚はどう考えてもあり得ない選択でした。

また、法律上認められていないパートナーがICUに入るということはとても無理なことでした。

もちろん、同性婚が認められるように活動したり、自分の認めたパートナーがICUに入れるように社会に受け入れてもらうようにするのは立派で素晴らしいことです。

ただ、ボク自身が本当にそれを望んでいたのかというと、少し違う気がします。

パートナーをパートナーとして社会に認めてもらうのが本当の望みではなく、おそらく自分の近くの周りの人に認められたり、パートナーを友だちに堂々と紹介できることだったのだと思います。

だとしたら、法律で認められるということは、ボクにとっては割とどうでもいいことだったように思います。

ICUにしても、自分がいちばん弱って心細くなっているときに、ICUでパートナーが手を握っていてくれたら、どんなに心強いかと思います。

でも、そばにいて手を握ってもらうことがボクの本当の望みかと言えば、おそらくそうではなくて、ICUの壁を隔てた向こう側でパートナーが願ったり祈ったり応援してくれることの方がうれしいはずだと思うようになりました。

ボクはこういった考え方を「健全な諦め」と最近呼んでいます。

不治の病にかかったら、もちろん治療も大切だけれど、ボクは残りの時間をいかに有意義に過ごすかを考えていくと思います。

 

5年半前は、この「諦めきれない」感じが、おかしな「頑張りすぎ」の自分を生んで体を壊してしまうことに焦点が行っていました。

その傾向は今でもあります。

まだまだボクの中にも諦めた方がいいことを「諦めきれずにいる」ことがたくさんあります。

ただ、ずいぶん楽な考え方をできるようになりました。

これは、リフレーミングのひとつなのかとも思います。

 

かといって、なんでもかんでも諦めればいいということではありません。

昨今のラグビーの日本代表が与えてくれた感動や多くのスポーツ選手やほかの成功者の方たちは「諦めなかった」からできることがあることを教えてくれています。

そして、ほとんどの成功者が、なぜ成功したかを訊くと、「諦めなかったから」だと言います。

それはおそらく、その人の中では真実なのでしょう。

諦めなかったら成功するとは限りませんが、諦めていたら100%成功しません。

人生、幾たびかは「可能性のあることに賭けてみる」場面はあるでしょうし、そのために並々ならぬ努力をすることも美しいことです。

 

ですが、諦めてしまった方がいいことを諦めきれずに執着することで、無理な事態を招いたり健康を損ねたり必要以上の迷惑を人にかけて成し遂げられなかったら、それは単なるわがままになってしまうのです。

不器用に努力を重ねてしまう人をたくさん見ていて、はらはらするけど応援したくなったり、心配だけど力をもらえたりすることもあります。

 

結果はわからないし、プロセスの中で得るものもたくさんあるでしょう。

何パーセントの可能性だったら賭けてみる価値があり、何パーセントの可能性だったら諦めた方がいいのか、それは誰にもわかりません。

どのくらい努力に耐える力を持っているかにもよると思います。

 

ボクが大切にしたいと思っている諦めの基準は、自分の信念やモットーがそこにどれだけ関わっているかです。

そして、時には客観的に見て、その力が自分にあるのか、努力を惜しまずできるのか、どのくらいの犠牲なら払うことができるのか、ということだと思います。

自分のぶれない軸とどれくらい関わっているか、なのだと思います。

なんとなく、ではなく、どこまで貫き通す自信や確信があるのかにも因ると思います

 

おそらくボクはLGBTの支援に関わることだったら、きっと「諦めない」方を選ぶと思います。

そして、自分の力や社会的な環境も考慮したうえで、いかに自分がさほど大切でもないことに執着していたがが見えてきたら、他の結果に繋がる方法を模索して「諦める」必要があることを見極める力が必要になってくるのかもしれません。

 

あなたの、ほんとうにありたい「ありのままの姿」に、今しようとしている方法は沿っているのか、大して価値のない見栄や欲で「諦めきれない」ことになっていないか、今いちど、問いを立てていただくことをお勧めしたいと思います。

 

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自分を許す

こんばんは。

 名古屋LGBT活性化委員会代表の豆腐(きまた宗則)です。

 

ボクのモットーというか信念は、自分が「自分らしく」あることです。

この「自分らしさ」という言葉は「わがまま」とか「自分勝手」という意味ではありません。

人間は社会的な動物だから独りでは生きていけません。

だから自分勝手にふるまうことで、周りを傷つけたり、相手のことを考えずに自分の要望だけをごり押しして、人と関係性がうまくいかなくなっては、気持ちの良い「自分らしさ」にはならないからです。

 

前回も述べましたが、ボクらLGBTが生きやすくなることで、LGBTでない人たちが肩身の狭い思いをするのはあまりうれしくないです。

あくまで、LGBT当事者と非当事者の共存が目的です。

 

しかし、この「自分らしさ」というものを獲得するのは、ボクにとって至難の業でした。

なぜなら、いいも悪いも「自分らしさ」だから、自分の嫌な部分や嫌いな部分があっては、自分のことが好きになれないし、「自分らしさ」は見えてきません。

嫌な部分を好きになる必要はありません。

ありのままを受け入れることが必要だということです。

極端に言うと、今現在自分が人と違って嫌だというところにたくさん「自分らしさ」が隠れています。

 

「自分らしさ」を獲得したのは40代後半だったと思います。

うつになってから、回復するには自分の内面ととことん付き合っていく必要がありました。

それまでは、長男だったということもあり、内孫や結婚や苗字の継承や墓守りができない自分はダメな人間で親不孝者でした。

ゲイであるというだけで、自分に自信がなく、ゲイであることをひた隠しにしてきたわけだから、「自分らしさ」なんてどこにもありません。

ゲイである要素を取り除いたら、自分ではなくなってしまいます。

 

多くのカミングアウトしていない、自分の本心を語れないLGBTの人たちは、今の環境で、普通の人生を歩むことが幸せに決まっていると思っている親の元にいて、「自分らしさ」なんて感じようがないと思います。

男は男らしくいい大学に入りいい奥さんに巡り合い子どもを持ち素敵な家庭を築く、女の子はきれいなお嫁さんになって家事をしていい母親になり家庭を守る、それが人の幸せだと信じきっている親に、「ボクはそれできないから」なんて簡単に言えないのです。

自分の本心を隠し、親に愛されようとする子どもたちが、自分は「ありのままであっていい」なんて思えないのです。

そんなことを四六時中感じながら生きていくことがいかに苦しいか、わかっていただけるでしょうか。

「ちょっと理不尽なことがたまにあるけど、うまくいっているし簡単に気持ちの切り替えができる人」とは雲泥の差があるわけです。

 

前回述べた、LGBTの方たちの中には「自尊感情」が低い人たちが多いというのは、まさにここに問題があります。

 

「ちょっと理不尽なことがたまにあるけど、うまくいっているし簡単に気持ちの切り替えができる人」というのは、僕がこれまでいろんな人と接した限り、割りと幼少期にのびのびと育ってきた人が多いように思います。

世界を飛び回っているLGBTの活動家やスピーカーの方たちも、親がリベラルな考えを持っていた人が多いように感じます。

実際はLGBTの方の多くが、普通の人生を歩むことが幸せに決まっていると思っている親の元に生まれている人が多いように感じています。リベラルな価値観の親にのびのびと育てられた方たちと、幼少期から我慢ばかりを強いられた人とはずいぶん違うように感じます。

幼少期に比較的のびのびと育ってきた人や、リベラルな考えを持った親の元に育った人というのは、「自分がありのままであっていけない」とは思ったことが比較的少ないように思います。

 

「自分がありのままであってはいけない」と思い続けてきたLGBTの人たちにとっては、簡単に他の人と身体的特徴や性自認性的志向が違うだけとはならないし、同性婚が認められたりパートナーシップに関する環境が整ったからといって、「はい、じゃあ、すぐにみんなにカミングアウトして、制度を活用しますっ!」とはならないのです。

 

「自分がありのままであってはいけない」と思い込んでいた方にとって、それと「自分を許す」とは、どのような関連性があるのでしょうか。

「自分がありのままであってもいい」気持ちになるためには、多くの人との共感が必要になってきます。これについては、これまでも少し触れてきた「自尊感情」に関係があると思っていますが、それはまた後日書きたいと思っています。

「自分がありのままであってはいけない」という思い込みは、自分の中に許せない部分があるからだと思っています。

簡単にいうと、自分が置かれた不条理で納得いかない環境を受け入れるといったことになるでしょうか。

 

ボクの場合でいうと、

「ゲイに生まれて普通に生きられない自分を受け止めきれない」

「ゲイに生んでしまった両親を恨む」

「ゲイであることで生きにくい環境を憎む」

「家族を持てない、子どもを作れない自分を悲しむ」

といったことを「仕方がない」こととして受け入れていくことだったかな、と思います。

これは後日書けたらいいな、と思っている「健全な諦め」ということに通じていくことになると思いますが、その限られた条件の中でいかに自分らしい選択をしていくのかということになると思っています。

その過程では、「人が人を愛するのに性別は関係ない」とか、「幸せの形は必ずしも結婚し子供を持ち家庭を築くこととは限らない」といった価値観を自分の中に植え付けていく作業も必要になってきます。

一般に存在する概念や、男女間の夫婦を前提にした法律や制度に抗っていくことになりますし、それを良しとしている人と溝を作ることにもなります。多少の傷にも耐えていかねばなりませんし、その傷を自分で癒す力も必要になります。

 

だから、LGBT本人の努力も必要になってくるわけです。ボクの目から見ると、なぜLGBTばかりがその努力をしなければいけないのか、ということには少し理不尽さを感じます。

 

まだまだLGBTに寛容とは言い難い社会の中で、LGBTの苦しみをあまり理解していない人たちの中で、生きていくのはなかなか難しいことなのです。なので、アライの方たちにもっともっとLGBTのことを知っていただく啓蒙活動もします。

 

両側から寄り添っていく姿勢が必要になるんです。

 

でも、そんなLGBTの自分を受け入れられたら、これほど強いものはないと思うんです。ボクは今、ゲイであるボクにしかできないことがたくさんあると思っています。その痛みを実体験で知っているから、寄り添えることもたくさんあるんです。どこまでできているかわかりませんが、乗り越えられたから言えることがたくさんあるんです。

 

それをこれからも誠心誠意一生懸命に死ぬまでやっていこうと思っています。

 

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映画『ラフィキ:ふたりの夢』公開のご案内

こんにちは。

名古屋LGBT活性化委員会代表の豆腐(きまた宗則)です。

 

今日は、11月9日から名演小劇場で公開される映画『ラフィキ:ふたりの夢』をご紹介します。

 

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【INTRODUCTION】

 

ケニアのカラフルな最新カルチャーにのせて、自由な恋愛と幸せな未来を夢見るふたりを描く感動作!

 

2018年、カンヌ国際映画祭史上初のケニアからの出品(ある視点部門)という快挙を成し遂げると共に、トロント、シカゴ、ロンドン、ロッテルダムなど100以上もの映画祭に出品され、世界から熱く支持されたにもかかわらず、本国ケニアでは観ることのできない作品がある。ふたりの女性が恋に落ちる物語であることから、いまだ同性愛が違法とされ、禁固刑に処されることもあるケニアで上映禁止となったのだ。のちに、米アカデミー賞外国語映画賞へのエントリーの条件を満たすために、ナイロビのある映画館で2018年9月23日から9月30日の1週間だけ上映が決定。「長蛇の列」「チケットを求める電話が殺到」というニュースがSNSを飛び交った話題作が、ついに日本にもやってくる。

 

看護師になるのが目標のケナは、古いしきたりにとらわれた周囲の人たちに満たされない想いを抱えていた。両親は離婚し、ナイロビで母と暮らしていたが、国会議員に立候補した父のことは応援している。そんな時、父の対立候補の娘で自由奔放なジキと出会う。互いに強く惹かれたふたりは、「私たちは本物になろう」と誓い合う。だが、友情が愛情へと変わり始めた時、ふたりはこの恋は命がけだと知る。

カンヌをはじめ100以上もの映画祭に出品され、世界から暑く支持されている話題作。だが、いまだ同性愛が違法とされるケニアでは上映禁止となり、のちに1週間だけ限定公開された時は、「長蛇の列」というニュースがSNSを飛び交った。

監督は、デビュー作でアフリカのアカデミー賞を獲得、今最も輝く才能と絶賛されるワヌリ・カヒウ。ミュージシャンのサマンサ・ムガシア、監督にも進出したシェイラ・ムニヴァと、多彩な女優たちが競演。

音楽、ダンス、ファッション、アート-ポップでカラフルなアフリカンカルチャーにのせて、人生を豊かにする人と人の絆を描く感動作。

 

(引用:公式ホームページ http://senlis.co.jp/rafiki/

 

 

【DATA】

 

『ラフィキ:ふたりの夢』

 

2018年製作/ケニア南アフリカ・フランス・レバノンノルウェー・オランダ・ドイツ合作/82分/原題:Rafiki

 

出演:サマンサ・ムガシア/シェイラ・ムニヴァ/ジミ・ガツ/ニニ・ワシェラ/デニス・ムショカ/パトリシア・アミラ/ネヴィル・ミサティ

 

監督:ワヌリ・カヒウ/製作総指揮:ティム・ヘディントン/製作:スティーブン・マコヴィッツ/原案:モニカ・アラク・デ・イェコ/脚本:ワヌリ・カヒウ, シエナ・ベス/撮影:クリストファー・ウェセルス/製作:Big World Cinema、Afrobubblegum/配給:サンリス©Big World Cinema.

 

 

【IMPRESSIONS】

 

この映画を鑑賞した直後は、主人公たちが純粋無垢な自分たちの想いを貫き、当人たちではどうしようもない環境を乗り越えていくお手本のような恋愛映画という印象を受けた。なるべく先入観なしに観たかったので、ケニアの社会的背景や映画事情はわかっていない状況で観に行った。主人公たちの胸をえぐられるような苦しみや絶望感は、こみあげるような共感と感動をクレジットどおり呼び起こさせるものだった。

 

ケニアLGBTに対する現状は、思っていたよりも壮絶で、同性愛行為自体が犯罪、映画はカンヌに選出されたが、ケニアでは上映禁止となった。ケニア映画検閲委員会(KFCB)は、同性愛のテーマとケニアレズビアン主義を促進するという明白な目的のために映画を禁止し、違法であるとしてケニアの人々の文化と道徳的価値を傷つけると結論づけて上映を禁止した。2014年にもナイロビの芸術集団によって作られた東アフリカのLGBTQコミュニティについてのオムニバス映画が、同性愛映画として上映中止になっている。ナイロビでの1週間だけの上映が、米アカデミー賞外国語映画賞へのエントリーの条件を満たすためとなっているが、SNSネット上で上映中止に反対する声が挙がって大論争を巻き起こしたという経緯も影響しているようだ。実際に、映画館で長蛇の列ができ、チケットを求める電話が殺到したということで、ひとつの映画が、ケニア社会を変えていったとも言える。

 

ケニアでは現実にはありえなさそうだが、唯一父親が傷ついた主人公ケナを抱きしめるシーンには救われた。看護師になる夢を果たしたケナが知り合いの入院患者から激しい罵倒を浴びせられてもさらりとかわす場面では成長を感じさせるし、ラストシーン、ジキの傷が多少なりとも癒され未来を想像させるあたりも観終わったあとの後味は悪くなかった。

 

ただ、この映画の上映時間は82分と短い。細かいディテールの部分でいえば、ストーリーの深さの割に、どのように傷ついたか、どのように愛し合っていたかの表現が浅く、エピソードのつなぎも丁寧さが足りないように感じた。ストーリーの内容が濃いので、細かい部分に丁寧さを盛り込んで100分近い作品にしても長くは感じないと思った。冒頭、ケナがジキに惹かれていくまでが丁寧だっただけに、サッカーのシーンから雨が降り秘密の場所へと誘うあたりは陳腐な印象も残るし、ゲイ男性の若者の描き方にも雑な印象を受けた。

 

細かい点は抜きにしても、この映画は社会的問題提起の映画として、クレジットもされているし、レビューもその視点で書かれているものが多い。だとすれば、ケニアの実情を知っておく必要はあるように思う。

 

「ラフィキ」とはスワヒリ語で「友達」という意味らしい。これは、友達のような恋がしたいという意味ではなく、パートナーや恋人を紹介するときにケニアの人々は「友達」と表現して関係性をぼかすことがよくあるということに由来していると監督は言っている。それだけ、周囲に認められることが難しいことをタイトルに込めたというわけだ。ケニアに生まれていたら自分はどうなっていたんだろうと思うといたたまれなくなるが、「普通に恋がしたい」「本当の自分でいたい」「周囲に認められたい」ことに高さの差異はあれ、ハードルが高いことは日本でも同じ。LGBT目線でいえば、ケナやジキの孤独感をいろんな方に映画を観て知っていただきたいと思う。

 

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=I5ITjFkBmBc

名演小劇場HP:http://meien.movie.coocan.jp/

 

senlis.co.jp

www.youtube.com

  

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「豆腐感謝祭」開催のご案内

こんにちは。
名古屋LGBT活性化委員会会長の豆腐(きまた宗則)です。

 

今日は、12月のワークショップ「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」の開催後に開催を予定している「豆腐感謝祭」のご案内です。

今年を振り返り、来年の抱負を発表するだけのただの飲み会です。

「豆腐さん」に関わりたいと思っている方ならどなたでも参加可能です。

 

日時:12月8日(日)18:00~20:00

参加費:3,500円

場所:生つくねのお店 近江屋 熟成鶏十八番 錦橋店
    名古屋市中村区名駅5丁目25-3
    地下鉄桜通線 国際センター駅より徒歩約5分、地下鉄東山線鶴舞線 伏見駅より徒歩約8分

nap7509.gorp.jp

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興味のある方はぜひお問い合わせください。

ワークショップ「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」と併せて参加を希望される方は、お申し込みの際に両方参加される旨をお知らせください。

 

お問い合わせ・お申し込み先

 マイノリティのパイオニア 豆腐(きまた宗則)

   Tel : 090(9262)8782

   Mail : info@torff-sessionroom.com

    

ホームページ「マイノリティのパイオニア 豆腐のオフィシャルサイト」のお申し込みフォーム、活動ブログ「豆腐の Activity Life」Facebookmixiメッセージ、twitter などからお申し込み可能です。

お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。

 

みなさまのご参加をお待ちしています。

 

 

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「じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ」12月のワークショップのご案内

こんばんは。

名古屋LGBT活性化委員会 代表の豆腐(きまた宗則)です。

 

今日は、ボクが開催するワークショップじぶん発見プロジェクトしろにじカーサ【セルフイメージチェンジルーム】のご案内です。

今回は、アサーションというテーマで開催します。 

ひとはだれしも自分の気持ちをわかってほしい願望があります。
また、相手との関係性を深めようとするときに、お互いの気持ちを理解し合おうとします。
今回は、お互いを理解し合うために、自分と相手の捉え方の違いを知り、心を開くコミュニケーションをするトレーニングをしてみましょう。

今年度は、初級編の内容を凝縮したワークショップにします。

 

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今回は【セルフイメージチェンジ ルーム】です。

こちらのルームでは、コーチング・カウンセリングの視点から深く自分を理解し、よりよい行動選択ができるようにディスカッションやワークを行います。

 

本当の「じぶん」、話してみませんか?

じぶん発見プロジェクト「

【セルフイメージチェンジ ルーム】

日時:12月8日(日)13:15~16:15
参加費:3,000円
参加定員:20名
場所:名古屋インターシティ 9F
     名古屋市中区錦1-11-11
     地下鉄東山線鶴舞線伏見駅10番出口より徒歩3分

※前回から開催場所が変更になりましたのでご注意ください。

※会場におはい入りいただくときにセキュリティの解除が必要になります。到着されましたら、下記電話番号に架電いただくようお願いいたします。

 

 

f:id:nagoyalgbt:20191009220721j:plain


どなたでもご参加いただけます。
興味のある方はぜひお問い合わせください。

今回は、ワークショップ開催後に「豆腐感謝祭」を開催する予定です。

こちらの参加も希望される方は個別にご連絡ください。

 

お問い合わせ・お申し込み先
しろにじカーサ」代表 豆腐(きまた宗則)
  Tel : 090(9262)8782
  Mail : info@torff-sessionroom.com 

ホームページ「マイノリティのパイオニア豆腐のオフィシャルサイト」のお問い合わせフォーム、活動ブログ 「豆腐の Activity Life」 Facebookmixiメッセージ、twitterなどからもお申し込み可能です。
定員になり次第終了させていただきますのでご了承ください。
お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。

主催:「しろにじカーサ」代表 豆腐(きまた宗則)


たくさんの参加表明お待ちしております。


 

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LGBT支援は制度の拡充や企業の取り組みだけでは不充分

ここ最近、LGBTの生きづらさを少しでも解消できるようにいろんな動きが活発になっています。

LGBTという言葉も浸透してきているようになってきています。

各地でレインボーパレードが頻繁に行われたり、いろいろな自治体でパートナーシップ条例などの制度の拡充やLGBTフレンドリー企業の取り組みもどんどん活発化しています。

とても喜ばしいことだと思っています。

 

しかし、この動きだけで本当に良いのでしょうか。

こういった働きやすさや制度の拡充や企業の取り組みといったものを活用できるのは、LGBTであることをオープンにでき、自分自身のLGBTに関する受容ができている方にとってのメリットが多くを占めていると思います。

 

実際にカミングアウトできない人たちにとって、直接的にはあまり使いやすい制度や取り組みではないように思います。

もちろん、環境が整っていくということは、クローズでいる方にも安心感は多少影響するとは思います。

LGBTの方の多くは、クローズで生活している方が圧倒的に多いと思います。

人口の7.6%がLGBTであるという統計が出ても、そんなにたくさんいるようには感じられない点からでも明白です。

多くのLGBTの方が可視化されていないのが現実です。

 

本当に必要なのは、可視化されていないクローズの方たちがどれだけ生きやすくなるのか、カミングアウトしやすい環境にあるのか、カミングアウトしなくても生きやすい時代になっていけているのか、ということが重要です。

 

ボクがいちばん必要だと思っているのは、制度の拡充や企業の取り組みではなく、LGBTの方たち自身の「自尊感情」、いわゆる「自信」です。

LGBTであることをいい悪いなしに肯定的に受容し、LGBTであることになんのコンプレックスも感じず、「そのままの自分であっていい」という「自尊感情」です。

 

ボク自身、40代後半まで、自分自身を肯定的に受け止められず、なぜいつもこんなに嫌な存在であると思い続けてきたのか、今となっては信じられないほどネガティヴな状況にありました。

幼いころから、長男に生まれ、家庭を持ち苗字を継いでいき、子孫を残し、お墓を守っていくことができないことに、非常に罪悪感を持っていました。

人が人として自分のあり方を受容できていて、自分らしい生き方をすることに関しては絶望していたと思います。

 

今現在、ある程度LGBTにとって寛容な世の中になりつつある今、自分に誇りを持ち、自分らしい生き方を確認できていて、それを全うできることが、最高の人生だと信じています。

そのために必要なのは、幼いときからの周囲の理解、自分が生きていられることの安心感が必要です。

そうできて初めて、制度を使ったり、LGBTに寛容な企業で働き、人並みの自尊感情を持って生きていくことが必要だと感じています。

 

自尊感情を育むこと、そして周りからはなんの差別も偏見も受けないこと、理不尽さを感じないことが必要だと考えているのです。

自尊感情の高め方、自分自身の受容の仕方、ここに焦点を当てながら、環境にも働きかけをしていく、それがボクの使命だと感じています。

そのためにはにはどうしていったらいいのか、これからホームページややブログやSNSで発信していけたらいいなと考えています。

 

共感いただける方は、ぜひ、読んでいただき、名古屋LGBT活性化委員会にも積極的にかかわっていただけたらと思います。

 

 

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